千葉大学 卓越大学院プログラム
アジアユーラシア・グローバルリーダー
養成のための臨床人文学教育プログラム

プログラム担当者
Person

日本総合研究所 上席主席研究員 池本美香氏

池本 美香

池本 美香(日本総合研究所 上席主任研究員)

研究・専門分野
子ども・女性政策(保育、教育、労働、社会保障等)

池本美香さん(日本総合研究所 上席主任研究員)には、本プログラムのアドバイザー、企業メンターをお願いしています。また、「プレ・インターン・プログラム」というキャリアデザイン科目のオムニバス授業にもご登壇いただいています。池本さんは、シンクタンクに就職後、千葉大学大学院社会文化研究科(当時)の博士課程に入学して学位を取得されています。今回のインタビューでは、大学院での学びと企業の研究所での研究とのつながりや、本プログラムへの助言や大学院生へのメッセージをいただきました。

池本さんは、働きながら千葉大学の大学院で社会学を専攻し学位を取得されています。まず、大学院での学びとお仕事との関係や結びつきについて教えていただけますか。

池本:最初から大学院に行くことを目指していたというわけではありませんでした。就職してシンクタンクに配属になり、経済学部や法学部の出身者が多いなかで社会学系のテーマを扱うとなると、周りから知識や情報をインプットできないということがありました。その時、たまたま社会人でも入ることができる大学院があると伺って、自由にテーマを設定できることもわかったので、ネットワークづくりや知識のインプットをしてみたい、大学院で時間をかけて勉強してみようと思ったことがきっかけです。入ってみて企業の世界と学問の世界が大きく違うことに驚きました。その違いを知ったのが一番の学びかもしれません。
例えば、企業ではいかにコンパクトに書くか、いかに短時間でレポートを出すか、今の政策に対してどのような提言ができるかといったことが求められます。大学院の場合、時間をかけて、歴史を学び、調査にも何年も時間をかけて、一つの場所にフォーカスして研究し、長い文章を書くことが求められます。研究する領域も本人の関心に応じて、幅広く自由にひろがります。そうした違いがまず驚いたことでした。ですので、その両方の価値観の中で生活している3年間は結構きつかったです。文章の書き方一つとっても、全く違う原理原則で動いている世界だったので、なかなか大変でした。企業にいると、どうしても目の前の仕事をどんどんやらなければいけないということがあり、実際、例えば、私も待機児童問題が社会で話題になっていた時期、そのことばかりコメントしていました。そして、大事な視点が抜けたまま20年経ってしまい、もっと早くから研究しておけばよかったと反省したこともありました。一つのテーマにもいろいろな分野の人がいることや、社会に知られていない知識があることを知っていたからこそ、反省もできたのだと思います。今の現象を追いかけるだけではなく、例えば歴史的に考えることや国際比較の視点で物事を見ること、広い視野で発言できるという意味で、大学院の勉強がいかされています。こうした視点は、スピード感を求められる現場では評価されにくいのですが、でもやはり、社会が見落としていることに目を向けて発言していこうという考えは、それは今になって、20年、30年経って、なんと言うか、大学院で学んだことのいわば栄養分の芽が出てきていると感じています。当時、大学院に行っていた頃は、ただ辛くしんどかったのですが、企業にずっといたらなかなか思い至らなかったかもしれないと思います。

大学院で学んだことが、池本さんが仕事をしていく上で栄養になっているという点、とても説得的ですし、励まされます。人文社会科学系の大学院で学ぶことは、どんなふうに今の社会と接続できるでしょうか。

池本:大学院では一つのテーマを極めることが求められて、専門が細かくわかれていて交じり合わないということが起こりがちですが、私が入学した当時の千葉大学の大学院では、いろいろなテーマを研究している人と同じゼミで一緒になったことにまず驚きました。いろいろな研究をしている人と接点ができたのは一つの財産でした。今、企業では、今までのやり方を越える多様な人材や多様な発想が求められています。社内でも大学院に行って博士号を取得する人が増えました。幅広い知識、考え方や人脈を持っている人を、企業も求めるようになってきました。
一番の価値はやっぱり翻訳機能でしょうか。学問の領域で議論されていることを現場の人がそのまま聞いても、意味がわからないことはよくあります。説明する時間についても、たとえば1時間半かけて説明するというようなことは、ビジネスの世界ではあまりないことです。内容をコンパクトにしてピンポイントで説明できるようにコーディネートする役割、通訳のような機能が必要だという話を、会社でもよくしています。わからないから全然目を向けないのではなく、エッセンスを選別して、今、起こっていることを簡潔に知らせる工夫をすれば、広く問題を認識してもらえます。難しいことを、わからない人の気持ちで伝えることができる、そうした人材がすごく今、求められているかなっていうのは感じますね。
たとえばシンポジウムでは、本当にコンパクトにわかりやすく説明しないと、人が来ないし聞いてもらえない。私も以前は、一人の先生に一時間半語ってもらって、それを文字起こししていました。ですが、そういう発信の仕方ではなかなか読んでもらえないことがわかったので、無理を言って15分で話してくださいとお願いしています。大学院で勉強して、逆に短い文章が書けなくなってしまったとこぼしている人もいますが、企業も今は柔軟になってきて、自由なテーマ設定などもできるようになっています。また、人脈というのも重要で、学会のことや、その領域にどんな専門家がいるかといったことを紹介し、時間軸や空間をひろげて物事を考えるということは、企業においても必要になっています。
シンクタンクのテーマ自体、以前は経済的なテーマが多かったのですが、今は、福祉や教育の分野の問題が社会に山積していて、そうした問題にきちんと対応しなければ経済の話もできないといった状況になっています。長期的な視点で、生活の豊かさや心の問題、環境問題などについて知識を持っていることや、そのような領域の専門家との人脈があることなどが期待されています。
北欧などでは小学校や保育の現場で働いている人が博士号を取得し、その専門知識が現場の実践、大学などでの研究、国や自治体の政策立案などに役立っています。教育や福祉の現場で、専門分野の知識を持った人がいるということは重要だと思います。現場と大学の共同研究なども進んでいくと社会の課題解決につながってよいと思います。
またリスキリングについて、一回社会に出て問題意識をもって大学院に入ると、研究のモチベーションも高いですよね。大学院は、後から戻ってくる人にオープンであってほしいです。幅広い視点で物事を考えることができる人材は、企業においても重要です。企業自体も最近はどんどん変わっていて、私が大学院に行った頃とは全然違っていると思います。むしろそういう人材がいないと、今までのように経済がわかる人だけ採用しても、先が見えないという考え方になってきました。

池本さんは、ご自身が幅広い視点で調査や研究に取り組まれているだけでなく、異なる世界で活躍する人々をつなぐコーディネート役割も担ってこられたことがわかります。池本さんがアカデミアと企業の世界を行き来して培われた視点なのだと感じました。

最後にプログラム院生やプログラムへの助言をお願いします。

池本:新しい視点、新規性は重要だと思います。社会が気づかないこと、見落としがちなことを、研究で得られた知見とともにしっかり語って発信し続けることを大切にしてほしいです。本気で問題だと思うことを、社会に伝えたいという気持ちでやり続けていれば、社会も変わっていきます。そうした変化が今の社会には必要なのだと思います。大学院で勉強してきた上で、しっかりした専門を基盤に語るということは、説得力や迫力に違いが出るように思います。博士号を持っていることが、仕事をしていく上で、信頼や信用にもつながります。
私はアカデミアの世界よりは、現場を変えていきたいという気持ちが結構強くこの仕事をしてきました。学問の世界でも企業の世界でも、これまでの発想にとらわれずに自由に新しい種をまいてくれる人が出てきてほしいと思います。

大学院に入って企業と学問の世界の違いに驚いたというお話しからはじまって、その違いを知っているからこそ両者をつなぐことの重要性を知ることができて、学問知を社会に発信する翻訳機能を果たせるようになるというご指摘は、私たちがキャリア教育を考えていく上でもとても重要なメッセージです。ありがとうございました。