熊本大学大学院社会文化科学教育部
活動紹介
卓越大学院プログラムに参画する熊本大学大学院社会文化科学教育部の大きな特徴の一つは,熊本大学附属図書館に寄託された「永青文庫細川家史料群」をプログラム学生が活用できることである。残念ながら,これまで熊本大学には「永青文庫細川家史料群」を活用するプログラム学生がいないが,他大学のプログラム学生が利用できる環境は整えており,今後の活用が期待される。
2020年度は,プログラム学生が3名であり(地域社会学,文化人類学,地理学),いずれも修士論文を提出して合格し,うち2名(地域社会学と文化人類学)が博士後期課程に進学する。2019年度末以来のCOVID-19感染症の世界的拡大のため,当初の研究計画を大幅に変更せざる得ない状況であったにもかかわらず,研究テーマや調査対象地を変更するなどの工夫をしながら優れた修士論文を提出している。博士後期課程に進学しなかった1名は,COVID-19感染症拡大で就学が困難になった(留学生が家族から帰国を求められた)ためであり,やむを得ないものである。
博士後期課程に進学する2名の修士論文のタイトルとフィールド調査の対象地は次のとおりである。
袁 田鑫 河川環境の持続における川漁師の役割
――天草市大宮地川と福岡県筑後川の川漁師を事例に――
(左)シロウオ漁調査の様子
(右)エツ漁に同行
ディリフ 南九州における狩猟実態
――鳥獣供養に関する民族誌的考察――
(左)猟罠の設置の様子
(右)多良木町役場の職員へのインタビューの様子
2021年度は,プログラム学生が2名であった(民俗学,地域社会学)が,そのうちの1名は病気のために休学した。もう1名は順調にプログラム科目を履修し,修士論文の準備を進めている。
なお,卓越大学院の予算を使用して中国でのフィールド調査の予備調査を行なえる環境(中国地方誌のデータベース検索)を整え,文書資料の撮影・画像分析の手法(赤外線カメラや360℃カメラによる撮影と画像処理)も模索している。
総じて,COVID-19感染症拡大の状況と格闘しながらも,着実にプログラムを進行させている。
2022年度は,プログラム学生が3名であり(文化人類学2名,地理学1名),順調にプログラム科目を履修し,修士論文の準備を進めている。
COVID-19感染症の影響により制限を受けていた海外でのフィールド調査も年度途中から実施が可能となり,実際に博士後期課程に在籍する学生1名がモンゴルでの調査を2回行うなど,着実にプログラムを進行させている。
当該年度に修士論文を提出し、博士後期課程へ進学予定だった1名の学生(留学生)は、国内でのフィールド調査を重ね、優秀な修士論文を提出したが、母国の家族が重病となり自身の就学が困難となったため、やむなく進学を辞退した。また、博士後期課程在籍の学生のうち1名が家庭の事情により就学が困難となり大学を去ることとなってしまった。しかしながら、残る博士後期課程学生1名を始め、当該年度にプログラムへ参加した3名の学生も活発に調査研究を進めている。彼らの修士論文研究の仮テーマとフィールド調査の対象地を次のとおり紹介する。
寺本 新乃 相撲の食をめぐる人類学的考察
(東京都 両国国技館、相撲部屋など)
(左)ちゃんこ鍋調理の様子
(右)国技館での実地調査
ダウラン・アリフ 外国人介護福祉士の生活実態に関する文化人類学的研究
(福岡県朝倉市など)
(左)1日の振り返りと聞き取り調査の様子
(右)インタビュー協力の外国人介護福祉士と
李 傑陽 グローバル生産ネットワーク論からみた九州の半導体産業集積
(熊本県熊本市、菊陽町など)
(左)GISで地図を作成
(右)訪問先企業の方と
「永青文庫細川家史料群」を活用した研究と教育
熊本大学附属図書館には,熊本藩主として幕末を迎えた近世大名細川家伝来の歴史資料・典籍を中心とした資料群が寄託されており,その数は約5万8000点にのぼります。この細川家史料群も,他の大名家史料群と同様に「藩侯の資料」(御家の宝物)と、「藩庁の史料」(藩政史料)とに大別されます。しかし,室町幕府将軍側近に出自を有する細川家の「藩侯の資料」には、織豊~徳川初期に取り立てられた他の大名家にはみられない重要資料が多数含まれています。また諸大名家の「藩庁史料」の多くが散逸してしまったなかで,細川家は元和期(1620年代)以来の「藩庁史料」をかなり網羅的に伝来させた数少ない例です。
「藩侯の資料」について特筆すべきは,多くの織田信長発給文書が伝来していることです。唯一の確実な信長自筆文書を含む59通の信長発給文書は、ひと所に伝来した信長文書の数として抜群であり,これらを含む中世文書群266通は2013年に国重要文化財に指定されました。
室町幕府将軍に仕え,次いで信長家臣となった細川家の祖・藤孝(幽斎)による古典文学研究の体系を示す典籍群、幽斎が相伝した諸芸・故実に関係する諸資料も大量に伝存しています。これらは諸芸の家元や学者の家の伝来資料と比較しても遜色ありません。18世紀中葉の有名な藩政改革=「宝暦の改革」時の藩主・細川重賢の書入れがある膨大な漢籍は,典型的な「明君」の日常態度を伝える資料群です。さらに、細川家二代忠興(三斎)と第三代忠利らとの往復書簡群や近世初期の家臣たちが提出した血判起請文群は,近世大名家の特質を物語る稀有の史料群です。これらの藩侯の資料群は、日本中世・近世政治史,経済史,文化史の研究にとって必要不可欠な重要資料にほかなりません。
「藩庁の史料」の特徴は,第一に,寛永期(1640年代)までの初期藩政史料が大量に伝来していること,第二に,18世紀中葉の藩政改革以降,藩庁内の部局ごとに蓄積された記録史料が体系的に分析できる密度で伝来していることです。これらの厖大な史料群は,熊本藩内の地域社会からの政策の立案,それを起案書とした藩庁内稟議による政策決定,百姓出身の行政担当者集団の形成といった藩政の実態を示す重要な事実を,あますところなく語ってくれます。「藩庁の史料」は,私たちが「江戸時代」を見る目に固着した先入観を払拭させてくれる稀有の歴史資料群といえます。
熊本大学では2017年4月に学内共同教育研究施設として「永青文庫研究センター」を設置し(2009年4月~2017年3月は文学部附属センターとして活動),細川家史料群の整理・公開と共同研究・国際研究を推進するとともに,その成果によって地域の文化振興を進め,熊本地域の歴史文化の維持・発展に貢献する取り組みを進めています。この取り組みは学部・大学院教育にも活かされています。学生・大学院生を「永青文庫研究センター」の現物資料解析作業に参加させることによって,近年は大学院社会文化科学教育部の文化学専攻歴史学研究コースの修了生の多くが学芸員や文化行政専門職に就職しています。これは,資料学に立脚した実力のある若手研究者を育成しているからに他なりません。
今回,卓越大学院プログラムに参加することによって,さらに高い研究力と社会貢献能力を具えた人材を育成していきたいと考えています。